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幸福論

幸福論

相対的な幸福を捨て、絶対的な幸福を追求する。

この数ヶ月、ずっと闘っていました。
自分自身と。
不毛な欲望を終わりにしたいのです。



人間にとって、一番不可解なことは自分がわからないということです。

自分を知ることなく、何であったかわかることなく死んでいく。

ほとんどの人はそうで、生きるとは何か?
死ぬとは何か?生まれた意味は?

そんなことを死を目前にすると
いままで見て見ぬふりをしてきたことを突きつけられます。

その時、自分という生命はなんだったか?
それがわからぬことはきっと・・・。


自分を知る、知ろうとすればするほどわからないです。

わからないからもがき悩む。

何かを残そうと必死に。



だけど、

ほんとうは、ほんとうは生まれた時すでにわかってる。


ただの生命です。

始まりがあって必ず終わる


人であろうとするから苦しい

人ではないかもしれない

ただ、細胞という穴のあり外界とをなんとなく区切り、形成する組織でなんとなくある個体でしかない。個体であるかもわからない、毎秒何かに吸収同化しているかもしれない。
今、PCという機械に触れているから、もしかするとわたしはわたしの内部にこれを取り込み境目を変容させてしまったかもしれない。



そんな風に概念を無視してしまえば 人ではない気がする。

人よりも今のわたしは何に近いだろうか・・・


幼い時は水が好きで自分は魚に近いと思ってた。
魚に生まれ地上で暮らすことを生きにくいとすら思っていたの。
だからいつか道はお水で満たされきっと泳いでいけるようになるはずだと。
楽しかった。


はたして今は、何に近くなってしまっただろう?

もしかすると、何かとんでもないものになってしまっただろうか・・・












相対的な幸福は世界を規定する。

外側をベースに相対していくと
果てしない欲を追い求めなければならず
終わるはずの生命に終わりのない欲望が哀しい。


こうだったらいいな、もっとこうしたい、
こうすべき、こうありたい、もっと・・・

もっとの方へは何がある?

何になっている?

成長は善だ、評するに値する。本当にそう?
成長とは?魂は育っているの?満たされ満たしているの?


わたしはただの生命であることからどれだけ離れているだろう?

この瞬間、次の瞬間、何かが起こって身が亡ぶ。

そんな怖さを抱えて毎日笑っていたあの頃。

生命としてただ生きてた。

狂気を感…

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