共生
共生
お正月も終わり、わたしの居場所へ。
独りになりたくて・・・。
でも、
毎朝、声をかけて一緒に生きて
いた植物の元気がなくなっていました。
思わず、「あ、ごめんね。」と。
ともに暮らすって、
日々、生存を確認することだなと。
それで、ほんの少し水を。言葉を。
いのちを繋いでいく。
嘘じゃなく、ファッションでもなく。
このものと、人と付き合っていく、
生きていくと決めることは愛なんだなって。
今までは、愛って気恥ずかしくてかっこ悪い気がして。
自分のこころが移りゆくことが悪い気がして。
こころの裡を見せられないことが申し訳ない気がして。
ひとりで生きることがシンプルだなと。
こころの距離を保って生きてきました。
愛情をもたないわけではないけど、
普遍的な愛がないことがわかっているのに
熱を帯びるのって疲れる。
でも、漸く。
そうやって斜に構えてるのがかっこ悪いなって。
なんにもなくても与えたいって。
少しだけ、成長💦
カジュアルに、生活の一部でも、
生きてる時のほんの束の間。
顔を想いだす。
責任とか重いものではなく、
元気でいる?って気になって。
何かを与えたくなる。それって、温かい。
一時的な熱や、刺激も好きだけど、
愛のある営み、暮らしにこころは暖まる。
家族は
血のつながりや、
戸籍や婚姻関係、
出会ってからの期間や、
一緒にいる時間の長さ、
人間、動物・植物ですら関係ない。
自分にとって何を家族と感じる?
だれを家族にしたい?
なにと暮らしていきたい?
いとおしく感じ、世話をしたいと思うのは?
そのものの自由を守ってあげたいと想えるのは?
なにかを得ること、与えられることは嬉しいけど・・・。
わたしもそういう愛の関係を創ってきたけど。
いい気持ちをもらうことって果てしなく。
欲はずっと続いてしまう。
なぜだか、姿が顔が浮かぶ。
そういうものや人に
与えることができる。
そのものが生き生きとしてる。
奥があたたかい。
あぁ、幸せだなって。
ともに分け与え暮らす。
いつまでも健やかに。
この国の美徳。
年末から年始、神に祈り、
自らの存在を放ち、愛に触れることで、
やっと理解できました。
天地自然の法則。
自らの行為 と 御心。
美しくある。
素晴らしい年に。
では、また💙
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