記憶

記憶

8月6日、8月9日。
この日に私たちが、言葉にすることは役割です。

今日の日に、どう書こうかと。


今朝の西日本新聞の朝刊。
関東にいるので、WEBですが、よかった。
「いとしいひと。きょうは広島、原爆に遭った都市から送ります」
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/348885/


毎年、この日は、疑問を投げかけ、祈りをささげる。
記憶に想いを馳せ、生きていることに感謝をし、
より生を全うするために何をすべきか?

幼い頃、じいじとばあばに、
『ヒロシマに落ち、次は八幡製鉄所だったんだ』と。
私は北九州に生まれ、その真実を聞かされて育ちました。

決して歴史の一ページではなく。
この命はあの時、なかったかもしれないのだと。

人は、痛みを忘れます。
一部、脳は忘れなければ、生きることは難しいから。

でも、忘れないように、腐食していかないように。
傷口に塩を塗ることは辛く悲しいけれど、
擦り傷で済んでしまった私たちは、
傷をえぐりながら話す方々よりも、もっと話さなきゃいけないのではないかと。

なぜ、生かされているのか?

人生に意味などないと言う方もいます。
そうなのかもしれないけれど・・・。
自分に役割があるって思うほうが、美しいと思うのです。

現在の世の中に意味を見出せなければ、先祖からつづく意味でもいいし、
地に祈りを捧げ、人間に生まれてしまっていることに対してでもいい。



私は、人は醜く弱いと思うのだけど。
ただ、唯一、
美しく生きようとする心を持つことで、人は美しくなるのではと。


今日の日に、一日を終える。

あたりまえに息がつづくこと、
いるところのあること、食物をいただき、

また明日を迎える。

心から、感謝。

みなさまも、よい夢を。
ではまた💛







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